第4章 脊椎動物の陸棲化の過程

 第1章から第3章において展開した地球環境の推移、脊椎動物の変遷、各種器官の変化の経緯を一覧表にまとめて示す。左端が年代と地球環境の推移を、中央の欄には化石記録や地質学的、地球物理学的分析、さらには分子生物学的解析法等によりほぼ確立された脊椎動物の変遷と各種器官の変化を記載してある。右欄は、これら事象を関連付けて脊椎動物の上陸に到る過程を説明するために必要と考えられる仮説である。表中単位の無い数値335等は335Mya等を表す。

 

表1.脊椎動物の陸棲化の過程

 

環境の変遷

脊椎動物の進化

肉鰭類・四肢類進化への仮説

 

 

石炭紀

 

 

 

 

 

 

 

酸素分圧18%340

ローマーの空隙

(360-345)

双弓類 Petrolacosaurus 300

哺乳類Archaeothys 310

羊膜類 Hylonomus 315

新四肢類放散335320

幹羊膜類出現、肋骨呼吸

Westlothiana 338

 

四肢歩行新四肢類Pederpes 350

両生類・羊膜類分岐355

 

 

 

 

内鼻孔咽頭部に移動、鼻呼吸、

肺腹側固定

 

臭覚機能陸棲化

個体数は減少するも種数は増加

359

 

 

デボン紀

 

 

 

ハンゲンベルグ絶滅

 

 

 

 

ケルワッサー絶滅375

大森林形成

酸素分圧14%380

 

 

 

 

 

潅木繁栄

 

 

酸素分圧24%416

 

鰓消失Tulepeton 365

 

四肢、指形成、口腔呼吸、背側皮骨表皮消失Acanthostega 365

 

 

 

頸形成、対鰭柱脚骨1本化

Tiktaalik 383

四肢基本骨格構造、コズミン鱗消失、脳函一体化、頭部扁平化 Eusthenopteron 385

条鰭類放散393

内鼻孔形成 Kenichthys 395

 

足跡化石 397

 

角質層形成、2心房化、腎窒化物処理機能、炭酸ガス排気機能肺

皮膚細胞角質化とSC/TACシステム中耳形成

 

 

 

腹鰭筋拡散方式

 感覚系陸棲化開始

肉鰭類潮汐域進出

2心房化開始、四肢化開始、噛付き方式

 

肉鰭類棲分け・底生化、丸呑み

方式

足跡(?)

416

 

シルル紀

 

 

 

 

シルル紀末絶滅

 

 

 

ユーラメリカ大陸形成

 

 

酸素分圧19%

 

ハイギョStyloichthys 417

シーラカンスCrosspterygii418

軟骨魚類歯化石418

肉鰭類放散420

 

肉鰭・条鰭分岐 420以前

 

初期硬骨魚出現 遊泳性、分割脳函、柱脚骨3本、歯個別交換

 

棘魚類、板皮類放散 430

棘魚類出現

 

 

 

 

遊泳型肉鰭類放散

 

遊泳型肉鰭類出現

 

塩類細胞、オルニチン回路、胸鰭筋拡散方式、腹鰭筋中間方式

 

 

 

真口類出現:肺獲得・肺位置未定

444

 

ルドビス

 

 

 

 

 

オルドビス紀末絶滅

 

 

 

 

 

 

酸素分圧15%

生態系回復

ゴンドワナ大陸分裂

 

 

海表面40

歯獲得 軟骨魚類出現

 歯列交換

板皮類出現 腹鰭獲得

Skiichthys450

軟骨魚類鱗化石 455

無顎類胸鰭獲得:前肢起源

Ateleaspis

 

顎原型形成 Galeaspida

 

節足類上陸

無顎類放散

軟骨魚類:胸・腹筋伸張方式

 

 

 

 

 

 

 

488

カン

ブリア紀

カンブリア紀末絶滅

 

 

 

骨化 Conodont

神経堤形成510

正中線鰭獲得

Haikouichthys520

 

各種感覚機能獲得ヤツメウナギ545

 

 

 

 

 

 

 

浸透圧調整機能、塩類様器官

 

 

 初期硬骨魚類の化石としてLophsteus, Andreolepis, Nacilepis, Orvikuina, Terenolepis, Dialipina, Ligulalepis 等が報告されているが(Friedman & Braseau 2010)、多くは断片的な化石のため詳細の明らかでないものが多い。比較的詳細に調べられている海生のAndreolepisLophosteusはシルル紀後期の422420Mya頃棲息していた初期硬骨魚類、乃至はそれに近い硬骨魚類と考えられる(Botella et al. 2007)。一方、顎口類の軟骨魚類や棘魚類、板皮類はオルドビス紀後期450Myaからシルル紀前期430Myaにかけて相次いで出現しており、多くは海生種であった。AndreolepisLophosteus等の初期硬骨魚類は、先行して出現した軟骨魚類、棘魚類、板皮類に似た特徴をモザイク状に持っており、顎口類の系統から分岐して間もないことを示している。従って初期硬骨魚類は軟骨魚類や棘魚類、板皮類にあまり遅れることなく出現していたと予想される(2)

 

初期硬骨魚類は、DialipinaLiglalepisに見られるように、背骨などの内骨格が部分的に硬骨化し、小型化した鱗がペグとソケットによって相互に結合されており、体の剛性が強化されている(Friedman & Brazeau 2010)。また、無顎類の時期に獲得した対の胸鰭と顎口類出現の初期に獲得した対の腹鰭を備えていた。口吻は体軸方向を向いており、流線型の体形をしている。こういった幾つかの特徴から、初期硬骨魚類も遊泳性の魚類であったと考えられる。

初期硬骨魚類と棘魚類はともに遊泳性であり、肺を持っていた(3章―6)。他にも多くの共通する特徴を持つことが明らかにされた(2)。従って初期硬骨魚類と棘魚類の共通祖先として真口類の存在が考えられた。ほぼ同じ時期に棲息していたと思われる板皮類は底生であるが、真口類と軟骨魚類は遊泳性の魚類であり、競合関係にあった。そのため真口類には遊泳力向上への選択圧があり、肺が獲得されたと考えられる。肺を獲得したことにより心臓への酸素供給が行えるようになり(Farmer 1999)、遊泳力に持久性を持たせることが出来た。

表層部を遊泳する真口類の時期の430Mya頃に肺を獲得したと考えられるが、肉鰭類や条鰭類に分岐後も肺の位置はまだ固定されていず、消化管の腹側に持つ種類と背側に持つ種類がいたと思われる(3章―6)

 

棘魚類は遊泳性の魚類であったが、背骨などの内骨格は硬骨化していなかった。また、胸鰭や腹鰭といった対鰭は棘状の皮骨で支えられており、ほとんど可動性は無かったと思われる。

初期硬骨魚類の胸鰭は軟骨魚類や棘魚類と同様3本の柱脚骨で体部に結合していたが、胸鰭の筋肉は軟骨魚類と異なり、先駆筋芽細胞が肢芽位置に移動し増殖する拡散方式によって形成されていたと思われる(Neyt et al. 2000)(Gillis & Shubin 2009)。一方、腹鰭の筋肉は、軟骨魚類の筋芽伸張方式と胸鰭筋の筋芽細胞が拡散する方式を兼ね合わせた中間型の方式で形成されていたと思われる(Cole et al. 2011)。そのため初期硬骨魚類の対鰭の運動機能は、固定翼的機能しか持たなかった当時の軟骨魚類や棘魚類の対鰭より高度であり、機敏性に優れた遊泳性魚類であったと考えられる(3章―3)

 

 即ち、初期硬骨魚類の遊泳力は、肺を持っていることで軟骨魚類よりも耐久性に優れ、機能的な胸鰭を持っていることで棘魚類よりも敏捷性に優れていたことになる。

 

初期硬骨魚類から肉鰭類と条鰭類が420Myaまでには分岐していたが(Zhu-99)、肉鰭類は分岐当初は遊泳性を含め多くの特性を初期硬骨魚類から踏襲していたと考えられる。Guiyu, Meemannia, Psarolepisなどの初期肉鰭類に見られるように、内骨格の硬骨化が進み、軽量で丈夫なコズミン鱗で覆われ、流線型の洗練された体形を持ち、口吻は体軸方向を向いている。これらの特徴は遊泳性と関係している。

また胸鰭は3本の柱脚骨によって体部とつながっており、胸鰭筋と腹鰭筋の形成過程も含めて初期硬骨魚類と同様であった。対鰭が骨格と筋肉を持つ肉鰭になったことで鰭の可動性が増し、機動性のある遊泳が可能になった(3章―3)。もちろん肺から直接心臓へ酸素を供給する能力も保持しており、長時間の高速遊泳も可能であった(3章―6)

従って分岐直後の肉鰭類は、初期硬骨魚類の特徴を発展的に引き継ぎ、同時代の軟骨魚類や棘魚類よりも機敏性と耐久性の優れた遊泳性の魚類であった。脳函は2分割しており、大きな開口が可能で追跡型の丸のみ方式で摂食を行う、多くは体長30cm前後の、それほど大型ではないが強力な捕食者であったと思われる。

    

 脊椎動物は感覚系を既に無顎類の段階で獲得しており、真口類や初期硬骨魚類、肉鰭類はそれらの能力を引き継いでいたであろう。即ち、視覚は色彩感度を持ったカメラ目を保持していた。嗅覚は鼻孔が隔壁によって前後に分割された2(4)になっていて、遊泳中は連続的に匂い分子を捉えることが出来るようになっていた。側線を持ち、水圧や水流の変化を感知できた(3章―5)

現生の四肢類と条鰭類の多くは体液のイオン濃度を海水の約1/3に保っている。従って、共通祖先である初期硬骨魚類も体液のイオン濃度を海水の約1/3に保つ機能を持っていたと考えられる。初期硬骨魚類は海生であり、現生条鰭類より緻密に並んだ丈夫な鱗を持っていたにせよ鰓などからの水分の損失を補うために、現生の海生条鰭類と同様浸透圧調整を必要とした。即ち、体内から損失した水分を補うために大量の海水を飲み込んでいたであろう。従って、体内に過剰に取り込んだイオン類を排出する必要があり、そのための塩類細胞や腎臓、乃至は似たような機能を持つ器官を発達させていたと考えられる(3章―7)

シーラカンスは初期肉鰭類の時期に分岐したとされており、従って体液イオン濃度は海水の約1/3であったと予想される。即ち、四肢類や条鰭類と同様浸透圧調整型であったと思われる。しかしながら現生シーラカンスは軟骨魚類と同様体内のアンモニア濃度を高めて海水の浸透圧とバランスさせる浸透圧順応型となっている。シーラカンスの4億数千万年の歴史のどこかで何らかの理由により浸透圧調整型から浸透圧順応型に変ったのであろう。あるいはシーラカンスが出現した頃は、軟骨魚類や硬骨魚類の間の特徴がまだはっきりと確定していなかった可能性もある。

 

さらに現生の軟骨魚類はオルニチン回路を持ち窒化廃棄物から尿素を産生できるし、現生の四肢類と条鰭類も尿素を産生できるので、共通祖先である初期硬骨魚類もその機能を持っていたであろうし(Haskins et al. 2008)、初期肉鰭類も尿素産生機能を持っていたであろう

 

420400Myaにかけて棲息していた初期肉鰭類の多くは遊泳性であったが、370360Mya頃に陸棲化を進めた肉鰭類は潮汐域や潟、三角州といった浅瀬に棲息していた。従って、初期肉鰭類の一部は400370Myaにかけて遊泳性から浅瀬性へと変ったと考えられる。遊泳性から浅瀬性への棲息域の変化は2段階を経て、即ち遊泳性から底生性へ、底生性から浅瀬性へと起こったと考えられる。

 

軟骨魚類や棘魚類、さらには肉鰭類同士との競合の中で一部の肉鰭類は底性へと移行し、棲み分けた。特に393Mya頃からより遊泳性の優れた条鰭類の放散が起こっており(Zhu et al. 2009)、これが肉鰭類の底性化を促した原因の一つであった可能性が高い。

現生の陸棲脊椎動物は鼻・肺呼吸のために内鼻孔を持っているが、内鼻孔はOsteolepiforms 系統のKenichthys が棲息していた395Mya頃に獲得された。内鼻孔は底性化においても鼻孔内水流を保持し、嗅覚を機能させるための適応と思われる(3章―5、3章―6)

初期肉鰭類の皮膚はpore-canal 構造を持つ多層の歯骨層構造を持っていたが、その後次第に歯骨層の層数が減り、Kenichthys ではコズミンの特徴とされるpore-canal 構造が消失している。pore-canal 構造は表皮歯骨層の形成・吸収に関係する器官とされており(Zhu et al. 2010)pore-canal 構造が消失したのは、底生化に伴い歯骨層の層数を減らす必要がなくなったためであろう。即ち遊泳性への選択圧が無くなったので皮膚構造をさらに薄く軽量化する必要が無くなったと思われる。対鰭の柱脚骨はまだ3本であり、胸鰭筋や腹鰭筋の形成方式も遊泳性の肉鰭類や条鰭類と同じであったと思われる。Kenichthysの脳函は2分割されており、頭蓋や顎の形状は後のGogonasusOsteolepisと共通する特徴を備えているが、Eusthenopteronとはかなり異なっている。一方、ハイギョの系統とされるPowichthysYoungolepisに似た特徴も併せ持っている(430 Chang & Yu 1997)。従って、全体的にまだ初期肉鰭類に近い体形であり、大きな開口が可能であり、待伏せ型の吸込み方式で丸呑みする摂食を行っていたと考えられる。

底生化に伴い持続的な遊泳力を必要としなくなったが、現生陸棲脊椎動物が肺を持っていることから、底生化した肉鰭類は肺呼吸方式を維持していたことになる。脊椎動物の生理機能においては、酸素の欠乏よりも炭酸ガスの体内蓄積の方が体液酸性度の安定にとって重要である(クラック)。水中の酸素濃度は大気中よりも格段に低い。また、酸素の水への溶解度は低いが、炭酸ガスの水への溶解度は高い。そのため鰓から炭酸ガスを放出することは容易にできるが、鰓から酸素を取り込むには、鰓部に多量の水を供給する必要があった。しかし、底生化したため多量の水を供給するには鰓蓋の活発な運動を必要とするが、これは待伏せ型の捕獲行動にとっては不利であったろう。そのため鰓から酸素を取り込むよりは肺から酸素を取り込むほうが有利であったろう。実際現生ハイギョでは酸素呼吸の90%を肺から取っているが、炭酸ガス排出では肺が30%、鰓が70%を占めている。従って底生化した肉鰭類も酸素を取り入れるために、遊泳性肉鰭類や初期硬骨魚類が採用していた肺呼吸を継承し、現生ハイギョと同様数時間に一回程度呼吸のために浮上する生活方式を採っていたと考えられる。このような呼吸方式であれば底生の待伏せ型の捕食行動に支障を来たさなかったであろう。

 

Eusthenopteronの脳函はまだ2分割されているが、胸帯や腰帯には四肢類の特徴が出始めており、四肢の基本的な骨格はEusthenopteronの段階、即ち385Myaには既に獲得されていた。即ち、底生の肉鰭類はこの頃にさらに浅瀬や三角州、潟といった潮汐域へ進出し、棲息域を変えたと考えられる(2章、3章―1)浅瀬進出に伴い、体の曝気が増え、移動のための器官や摂食のための器官に大きな変化が起こった。頭蓋や体骨格、付属肢、感覚系、循環系に浅瀬環境における適応が急激に進んだ(3)

対鰭に四肢的要素が見られるということは、浅瀬における移動に対鰭を使っていたことを予想させる。また、鰭と体をつなぐ3本の柱脚骨はTiktaalikが出現した375Myaには一本だけになっている(3章―3)。柱脚骨が一本になったのは、浅瀬や潟を這い回る移動への適応と考えられる。即ち、柱脚骨が3本の場合には対鰭は背腹方向にしか動かせないが、柱脚骨が一本になって肩骨と関節することで対鰭を体軸方向にも動かすことが可能になり、肢として機能するようになった。

さらに潮汐域進出に伴い腹鰭の形状と胸鰭の形状の差が小さくなっている。これは、腹鰭も浅瀬や潟を移動するのに適した機能を得たことに対応している。恐らく腹鰭筋の形成が胸鰭筋の形成と同様に先駆筋芽細胞が肢芽位置に移動し増殖する方式(拡散方式)に変わり、現生四肢類と同じになったのはこの時期と思われる(3章―3)

対鰭を使った移動方式になることで、脊椎骨も部位ごと機能が異なるようになり、椎骨形状が部位によって異なってきた。さらに385Mya頃に出現したPanderichthysには肋骨の形成が見られる。肋骨の形成は、水から出た体の重みの影響から内臓を保護するためと考えられる。しかし、肋骨が内臓を完全に保護し、呼吸に使われるようになるのはかなり後で、「ローマーの空隙」を経て、細身の頭蓋を持つ羊膜類が出現してからである。

 

重力の影響下で泥濘地や草木の繁茂した浅瀬を移動するための支点となる指が四肢の遠位部に形成されたのは365Mya頃に出現した初期両生類においてである。しかし、デボン紀に出現した4050種ほどの初期両生類のうちで指を持ったのはアカントステガとイクチオステガ、チューレルペトンだけであり、指の数も68本と安定したものではなかった。指の獲得がそれほど容易なことではなかったことをうかがわせる。陸上歩行が可能な骨格構造と筋肉を得、指が5指に固定化されたのは、「ローマーの空隙」の間である。

 

摂食方式も底生の環境から潮汐域の環境に変わることで、待伏せ型の吸い込み方式から噛み付き方式に変化し、急激な大開口を必要としなくなった。それに伴い脳函は一体化し始め、舌顎骨は顎関節の機能を失い縮小した。こういった頭部後方における一連の骨構造の変化により、頭部と体部の間に空間が出来て、頸の形成が可能になった。浅瀬や潟への進出に伴い頭部は扁平化し、目は頭部上方に移動した(3章―1)。頭部の扁平化により口を使った呼吸効率が向上した。濁った水の環境のため目は大きくなり、汚泥から鰓を保護するために通気孔が頭頂部に形成された。Tiktaalikでは魚類様の迷路歯が消失し、部位によって形状が異なる四肢類様の歯へと変化している。摂食が噛付き方式になったことに対応しているのであろう。また、曝気の増加に伴い鰓機能が低下し鰓への依存度が下がり、鰓蓋咽頭骨も縮小した。360Mya頃棲息していたTurelpetonの頃に鰓が消失し、肺を使った空気呼吸を完成させている。

 

体表は、コズミン鱗の特徴とされるpore-cannel systemKenichthysの頃に既に消失しているが、潮汐域の環境に棲息するようになっても皮骨性の鱗で覆われていた。皮骨性表皮の形態は385Myaに棲息していたEusthenopteronの段階では大きな変化は無いようである。一方、365Mya頃出現したアカントステガやイクチオステガの腹側は薄い皮骨性の鱗で覆われているが、背側では皮骨性鱗が消失している(3章―3)。曝気に伴う皮膚からの水分の蒸散を防ぐため、背側はケラチン細胞になり細胞間結合を強めたのであろう。全般的には皮骨は四肢化に伴い減少する傾向を示すが、種によってかなり異なっている。345Mya頃に出現したGreererpetonは、頭部の皮骨を消失しているが、背側には皮骨が残り、腹側には発達した皮骨を保持している(Vickaryous, M. & Sire, J-Y. 2009)Greererpetonは水棲に戻った両生類とされており、従って、陸棲化、即ち曝気の増加が表皮のケラチン細胞化と関連していることを示唆している。表皮は外部環境と直接接しており、その形態は環境や生態に大きく依存することを反映している。

陸棲化のためには、表皮からの水分の蒸散を防ぐために粘液腺を発達させるか、耐水性の高い角質層を発達させる必要があった。皮骨由来の鱗を失った初期四肢類から真皮内に粘液腺など多様な腺を発達させ、粘液で皮膚からの水分放散を抑制し、さらに体を小さくて、皮膚呼吸への依存度を高める方向に進化したのが現生両生類につながる系統と考えられる。粘液腺を発達させる方向に進化した両生類の系統では新たに表皮由来であれ角質由来であれ鱗を作らなかった。一方、皮骨由来の鱗を失った初期四肢類から新たに表皮の角質層を発達させて水分の皮膚透過を減らし、皮膚呼吸と鰓呼吸への依存度を減らし、肺呼吸に重点化したのが完全な陸棲化を達成した羊膜類である。体表がケラチン細胞で覆われ、完全に陸棲化した四肢類の出現は「ローマーの空隙」の間、乃至はそれ以降であり、350Mya頃出現したPederpesが最も初期の1種である。

 

 表皮細胞の増殖能が基底層の幹細胞:SCに限定されるようになったのは、浅瀬や潟への進出に伴う強い紫外線から増殖能のある表皮の幹細胞を保護するための適応であったと考えられる。表皮幹細胞をDNAにとって有害なUVBが到達できる侵入深さあたりに限定し、実際の表皮細胞の増殖をTACTransit Amplifying Cellに負わせる機構は、表皮からの水の消散を抑制する角質層:CEの形成と平行して進んだと思われる。基底層がUVBの進入深さと同程度になっていることは、この機構が水中ではなく大気中で進化したことを示唆している(3章―3)。最初は背側で始まり、やがて腹側にまで及んだ表皮におけるSCTACCE形成の一連の機構は、曝気が増加した頃、即ち潮汐域に進出した頃に始まり、皮骨性鱗の退歩・消失に同期して進行したと考えられる。

 

視覚器官ではレンズを薄くし、眼球を乾燥から保護する器官の獲得を必要としたが、目の基本構造や機能に対する大きな変更を必要としなかったので比較的早く陸棲化出来たと思われる(3章―5)。しかし、焦点を調節する機構の完成には時間を要したと思われる。「ローマーの空隙」後に出現した陸棲の小型の四肢類は昆虫類を捕食していたと考えられる。そのために目の焦点調節機能を進化させていたと予想されるが、現生無尾両生類のように動くものは口に入れるという反射反応で捕食していた可能性もあり、この場合には焦点調節機能は未完状態であったろう。

 

既に底生化した時点で内鼻孔を獲得していたので、陸棲化に際して臭覚器官も基本構造の大きな変更は必要なかった。また、臭覚レセプターに多様化が見られることから、臭覚レセプターの陸棲化はかなり容易であったと思われる(3章―5)。しかし、アカントステガの段階でも内鼻孔の位置は口吻の先端部近くであり、鼻孔が呼吸に使われるようになったのは臭覚機能より遅れたと予想される。

Pederpesでは頭骨や口吻部がそれまでの扁平なカエル型から幅が狭く高さのあるトカゲ型に変化しており、その陸棲に対する完成度から、臭覚機能の陸棲化をほぼ終えていたと思われる。「ローマーの空隙」が終わってまもなく出現したEmbolomeriは頭部も体部も幅が狭くなり、口蓋に空隙が無いので、この頃に、肋骨を使い、鼻孔による呼吸を行うようになったと思われる。

 

聴覚の完全な陸棲化にはかなり時間を要したと思われる。即ち、舌顎骨の移動と耳小骨化や頭蓋骨への蝸牛窓の形成などが必要であり、不完全ながら鼓膜つきの耳を持っていたとされるバラネルペトンが出現した330Mya頃に大気中での聴音がほぼ可能になったであろう(3章―5)。しかし、3つの小骨からなる完全な哺乳類の中耳構造が形成されるのは、かなり先の120Mya以降のことである(Meng et al. 2011)

 

干潟や三角州、浅瀬を対鰭を使って移動する場合、水中を尾鰭を使って泳いで移動するのに要するよりも多くのエネルギーを必要とし、従ってより多くの酸素量を必要とする。一方、このような環境では鰓が頻繁に大気に晒されるため、その機能は低下する。底生から潟などの浅瀬に進出したときに生じたこういった問題を解消するために、肺機能の向上と心臓の2心房化が平行して起こったと考えられる(3章―6)Tulerpetonの頃に鰓を失っており、この頃には相応に機能する肺と2心房が得られていたのであろう。2心房化により体組織と心筋への酸素供給量を増やすことが出来た。しかし、Tulerpetonは基本的には水棲だったとされる。

さらに浅瀬や潟といった環境下での移動では肺による浮力機能(King et al. 2011)は不要になる。鰓が消失し、内鼻孔が咽頭部に移動し、鼻が呼吸に使われ、肋骨が肺呼吸のために機能するようになった頃、即ち、石炭紀初期から「ローマーの空隙」が終わる頃に出現した新四肢類の頃に、陸棲脊椎動物の肺の位置が腹側に固定された、と考えられる(3章―6)

 

鰓の消失により水中での鰓による窒化廃棄物の排出が出来なくなるため、鰓消失に同期して既に保持していたオルニチン回路に尿素回路を付け加え、1次窒化廃棄物であるアンモニアを尿素に処理し、腎臓に尿素排出の機能を獲得したであろう(3章―7)

 

上に述べた肉鰭類・四肢類の430340Myaの間の変遷を図1にまとめる。図中18は主に化石記録に基づいた事象であり、AJは化石記録や分子生物学的解析に基づく論文類から推論した仮説である。

 

図1.脊椎動物の陸棲化の過程
図1.脊椎動物の陸棲化の過程

1:肉鰭類と条鰭類の分岐 2:肉鰭類の放散 3:内鼻孔獲得 4:四肢基本骨格形成、脳函一体化、コズミン鱗消失 5:柱脚骨1本化、頸形成 6:指形成、口腔呼吸、背側皮骨表皮消失 7:新四肢類、両生類と羊膜類の分岐 8:条鰭類の放散

A:肺獲得、対鰭既得、オルニチン回路既得、浸透圧調整機能既得 B:遊泳型肉鰭類 C:底生化 D:潮汐域進出、四肢化・2心房化開始 E:腹鰭筋拡散方式化、感覚系陸棲化開始 F:表皮角質化・SC/TACシステム化開始、中耳形成開始 G:角質層形成、2心房化、腎窒化物処理機能獲得、肺炭酸ガス排気機能獲得 H:陸上臭覚機能獲得 I:内鼻孔咽頭部に移動・鼻呼吸・肺腹側固定 J:条鰭類の肺背側固定

 

 

特に潟や三角州といった潮汐域に進出した385Mya頃からアカントステガやイクチオステガが出現した365Myaにかけて体の各器官で急激な陸棲化が一斉に開始された。キース・トムソンは、大進化ではこういった一連の「歩調の取れた前進」が必要であると考えた。恐らく進化しつつある器官同士のフィードバック効果により、各器官の進化が促進され、「歩調の取れた前進」となるのであろう(ジンマー)。これは、組織・器官に多少の変化があっても全体として上手く機能することが出来る生物体の柔軟性があってはじめて可能になるメカニズムである(Clack 2001)

 

初期四肢類は海性、淡水性いずれの環境にも棲息していたことが化石から確認されており、従って世界各地の海や淡水の浅瀬で陸棲化が始まったと思われる。特に河口に発達した潟は富栄養で生態系が豊かあり、日々の急激な環境変化への適応も必要であり、こういったことが陸棲化への強い駆動力になったであろう。

 

肉鰭類が底生化した時期は、条鰭類が放散を開始した時期に一致している。遊泳性のより優れた条鰭類と棲み分けをしたのであろう。また、肉鰭類が浅瀬に進出した時期は大気中の酸素分圧が15%以下になったとされる時期に一致している(Clack 2007)。低酸素化への対応として肉鰭類自身が空気呼吸を必要としたのか、肉鰭類の餌となる動物類が空気呼吸を必要としたのかは不明であるが、低酸素化が肉鰭類を浅瀬や潟へ追い込んだ可能性は高い。また、浅瀬で体の各器官が一斉に陸棲化適応を進めた時期は、酸素分圧がやや回復したが、依然として1617%と低い状態に留まっていた時期に対応している(1)

 

デボン紀から石炭紀における四肢様魚類と四肢類の分岐系統図を図2に示す。

 

図2.四肢様魚類と四肢類の分岐系統図
図2.四肢様魚類と四肢類の分岐系統図

緑:Rhizodonts 黄:canowindrids 青:megalichthyforms 紫:tristichopterids

赤:デボン紀のelpistostegaians オレンジ:石炭紀のelpistostegaians

デボン紀初期から中期の400Mya頃と385Mya頃に急激な分岐が起こっている。前者は肉鰭類の底生化の時期に、後者は潮汐域への進出の時期に対応していると思われる。「ローマーの空隙」後の345Mya頃に新四肢類となるelpistostegaiansの多様化が見られる。

From Swartz 2012

 

 

最初の両生類が現れたのがファメニアン期前半(375365Mya)であったが、デボン紀末に大絶滅事変、Hangenberg eventがあり、デボン紀末から石炭紀初期のほとんど脊椎動物の化石が出てこない所謂「ローマーの空隙」は360Myaから345Myaまでの1500万年ほど続いたとされた。しかし、Hangenberg eventがすべての生物に打撃を与えたわけではなく、特に板皮類と肉鰭類、及び初期四肢類の系統が大きな影響を受け、種類が激減している。一方軟骨魚類や条鰭類はむしろ種類が増えている。Hangenberg eventの後、板皮類はデボン紀の繁栄を回復することなく絶滅し、肉鰭類もほとんど回復しなかったが、四肢類は種類を増やし、ヴィゼアン期にはHangenberg eventの前よりも繁栄している(Sallan & Coates 2010)。しかし、アカントステガ等の初期四肢類のほとんどはHangenberg eventを生き延びることが出来なかった。即ち、石炭紀初期に出現した新四肢類の多くは初期四肢類とはまったく異なっている(Clack 2006)

所謂「ローマーの空隙」の期間と相前後して炭竜目、分椎目といった四肢類が次々に出現・放散している(Coates et al. 2008)355Mya頃には両生類と羊膜類につながる系統が分岐したとされ(Zhang et al. 2005)、また両生類は350Myaまでに主要な10系統を輩出していたとされる(ジンマー)。分椎目は初期四肢類イクチオステガのいくつかの特徴を引き継いでいるとされるが、現生脊椎動物の共通祖先と考えられる炭竜目の形態的特徴はイクチオステガやアカントステガといった初期四肢類とはまったく異なっている。

「ローマーの空隙」の期間は、条鰭類や軟骨魚類の種類は増しており、新四肢類にとっては揺籃期でありやはり種類を増していたが、寒冷化や海水準低下、酸欠状態を含む大絶滅の後なので実際に脊椎動物の個体数は大幅に減少していたと考えられる。即ち、脊椎動物の化石が少ないのは、個体数が少なかったことを反映していると考えられる。大絶滅を引き起こした大きな環境変化から生き延びるために脊椎動物類は種の数を増加させたと思われる。即ち、「ローマーの空隙」の期間は、種あたりの個体数は減少したが、種の数は増えており、水棲、陸棲を問わず、現生脊椎動物に向けた進化にとって重要な時期であった。

 

大絶滅で個体数が大幅に減ったため生態系も大きく変わったであろう。「ローマーの空隙」は、大絶滅を生き延びた在来種に新たに出現した新種が加わり、新しい生態系を創り出すための準備期間であった。「ローマーの空隙」が終わって間もないヴィゼアン期の末の338Mya頃に両生類と羊膜類の中間の特徴を持つウェストロシアーナが出現している。また哺乳類の系統と爬虫類の系統が分岐したのは337Ma頃とされる。羊膜類出現とほぼ同時に哺乳類につながる系統と爬虫類につながる系統は分岐し、各々独立に進化をしてきている。明確に羊膜類と判断される最初の四肢類化石は315Myaに棲息していたヒロノムス:Hylonomusとされる。現生哺乳類の祖先型とされる単弓類のアーケオシリス:Archaeothyris310Mya頃の地層から、さらに現生爬虫類の祖先型とされる双弓類のペトロラコサウルス:Petrolacosaurus300Mya頃の地層からが出土している。

 

図3にデボン紀末からペルム紀末までの四肢類の分岐図を示す(Laurin 2004)。「ローマーの空隙」が終わった直後から急激に放散が起こっていることが読み取れる。古生代末までに両生類、単弓類、双弓類の系統のいずれにおいても多くの分岐が起こっており、四肢類による多様な生態系が形成された。しかし、デボン紀後期の大絶滅事変のあと約94Myかけて構築された生態系は、ペルム紀末251Mya頃に地球史上最大といわれる大絶滅事変を迎えることになる。

 

図3.デボン紀末からペルム紀末における四肢類の分岐図
図3.デボン紀末からペルム紀末における四肢類の分岐図

From Laurin 2004