脊椎動物の陸棲化ということで、ここでは主に430Mya頃の肺の獲得から340Mya頃の歩行用四肢の獲得までの90Myの進化の過程を概観した。しかし、現在地球における最も古い生命の痕跡は3850Myaとされており、それから比べると90Myといっても地球における生命の歴史のわずか2.3%に過ぎない。そして最近では地球生命の宇宙由来説が真剣に論じられており、もし地球上の生命が宇宙起源であれば、90Myの期間は全生命史の1%以下の出来事になってしまうであろう。
さらにまた、確かに肺は陸上での生存に必須の器官である。しかし、硬骨魚類は陸棲化するためではなく、先行する軟骨魚類や棘魚類との競合の中で肺を獲得した。たまたま肺を獲得していたから急変する地球環境の下で陸棲化が可能になったといえる。
認識不可能とも思われる長い時間を、生命はあるときは急激に、あるときは緩慢に、偶然と必然の入り混じった環境のもとで、再生産を通じて適応と進化を連綿と続けてきて今に到っている。何時の時代でもその時代の生命は、それ以前の生命により細胞質や細胞核内に、さらには地球そのものに蓄積された進化の歴史をベースに形成される。形成された生命は、その時代の地球に生存する、やはり各々が進化の歴史を持つ多くの生命と相互作用をしつつ、さらにはよってたつ地球そのものとも相互作用しつつ適応し、時に進化を加味して次の世代へと生命を引き継いできた。
各器官の多くは様々の器官同士が相互作用しつつ進化してきており、その進化の過程は非常に複雑である。また、細胞内における遺伝子同士の複雑で広範に及ぶ相互作用のネットワークに加え、細胞質やmiRNAの関与、エピジェネティクスの効果などが複雑に絡まりあった反応系を進化させてきた。生体内や細胞内における複雑な反応が進化の結果であることは確かであるが、結果を元にその進化の過程を逆に辿ることはほとんど不可能である。さらに生物は他の生物や地球環境との相互作用のもとで進化してきており、複雑に絡み合った偶然性を経てきている。
今ここにある生命系形成のために費やされた茫漠たる時間と錯綜した相互作用に想いを馳せるとき畏敬と同時にたじろぎをすら覚える。その生命の歴史を把握することは、ヒトが進化の結果得た認知力のレベルでは限られたものであるのかもしれない。
複雑に錯綜した生命世界の成り立ちの全容をつかむことは出来なくても、「進化生物学」は、生命の歴史の目のくらむような、ほとんど奇跡ともいえるような事実を垣間見せてくれる。細胞の中に蓄積してきた我々自身の錯綜した歴史を、概略とはいえひもといて解読させてくれる。それだけでもなんとも素晴らしいことである。
多くの研究の成果を元に、「なぜ」への言及を含め進化の観点からみて妥当と考えられる幾つかの仮設を入れることで、脊椎動物の陸棲化の過程を整合性的に物語ることが出来たと思っている。
とはいえ多くの研究者の研鑽により進展が日進月歩の分野ゆえ、一つの化石の発見や新たな分子解析の結果で仮説が崩れ、物語の筋書きが大幅に変わることは充分ありうる。物語を創りあげるうえで立てたいくつかの仮説に対してさらに科学的アプローチがなされ、脊椎動物の陸棲化の過程が一層深く、より詳細に解明されることを待ち望んでいる。今となってはかなわぬ夢であることを重々承知はしているが、元来が実験家の私としては、実際に化石に当たり骨格の詳細を調べ、あるいはエヴォ・デヴォによる解析を行い、ここでたてた仮説を検証したいと切に思う。
魚類や四肢類の解剖学や発生学等、初歩的知識すら不足していたため、取り組むべきテーマとしては大き過ぎたと常に感じつつ、構想を何回か変えたり横道にそれたりの紆余曲折があり、着手してから3年以上を費やしてしまった。また、無知に基づく誤認や論文内容の読み違いや勘違いもあるかもしれないし、重要な論文を検索しきれていない可能性も大きい。
それにしても読み返してみると我が作品ながら、内容構成がすっきりしていないし、文章が練れていないと、文才の無さに今更ながら失望している。出来上がりには満足はしていないが、それでも伝えたい内容は読み取ってもらえるだろうと甘い期待を抱いて、電子書籍化はちょっとバリアが高すぎるので、とりあえずホーム・ページという形で公にすることにした。
目を通してくださった方々からのご批判やご意見を基に今後さらに内容を充実させていきたいと思う。
2012年10月末 佐藤正純